在宅期間で百人一首の面白さに気づいた

 最近ずっと家にいるので百人一首を覚えてみたら、その面白さにすっかりハマってしまったジャニオタの話です。

 

 

 昨今の情勢下で私も週に1〜2度しか家を出ないという生活を送っているのですが、化粧してちゃんとした服を着て電車に乗ってというルーティンがなくなったおかげで毎日時間も気力も満ち溢れた生活を送れています。せっかくだからその有り余る時間と気力で何か今までしてこなかったことをしてみようと思って、国旗を覚えたりコナンの映画を観まくったり色々してるんですが、その色々の中でも、なんとなく覚え直そっかな〜と思って調べ始めた百人一首にハマってます。めちゃめちゃ面白いじゃんこれ……

 これまでの人生で百人一首に触れた機会といったら高校の授業の一環で開かれた百人一首大会(覚えるのは完全に生徒任せだった)とコナンの映画「から紅の恋歌」ぐらいなもので、百人一首大会のときはいくつかの歌とその現代語訳だけ覚えてたんですけど、そんなんじゃ和歌の面白さなんて分かるわけなかったんや……と痛感してます。ちゃんとした解説サイトを読んで、単なる現代語訳ではない歌の意味とか、詠まれた背景とか詠んだ人の人生とかを知ると、「そんなことを思ってこの歌を……!!」みたいな気づきが本当に全ての歌にあって、31文字の中に凝縮された情緒を一つ一つ知っていくのが楽しくて仕方ありません。古典の先生こんなこと絶対教えてくれなかったよ……

※ここからジャニオタ全開でお送りします。

 

 

 

 1000年前の感情に共感できる

 一つ一つの歌の意味をちゃんと知っていくと、「その感情この曲で聞いた〜〜!!」みたいな共感を覚える歌が結構いっぱいあって、時代が1000年違う作品でリンクした感情が表現されてるのってめちゃめちゃロマンじゃんと思っています。ジャニオタとして「これジャニーズの曲で聴いたことある……」と特に感じた歌が次の2つなんですけど、

「風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思ふころかな」

 彼女にこっぴどく振られて自分ばかりが悩んでるってテーマに「夕焼けドロップ」に通じるものを感じました。歌の雰囲気も、見事に玉砕!!って感じのちょっと情けない男の嘆きが想像できて、ここも夕ドロっぽいな〜とか思ってます。

「忘れじのゆく末まではかたければけふを限りの命ともがな」

 あなたが愛を誓ってくれている今がすごく幸せだけど、幸せだからこそその愛が失われるときがいつか来るのではと思ってしまう……いや、そのマインド完全に「愛のかたまり」2番サビじゃん…… 

 こういう風に、言葉とか表現方法は違っても今と1000年前で本質はほとんど変わらない気持ちが共通して人々の間で抱かれてるっていうのを感じて、人間の営みってどんどん移り変わっていくけどその中で変わらんものがある……ロマン……みたいな気持ちになってるし、単純に1000年前の気持ちに対して、歌を通すことで「わかる」って共感できるのすごくないですか?

 もちろん時代によってその気持ちの背景は違うわけで、私が共感しているその気持ちも歌を詠んだ当時の人の気持ちそのものとは微妙に違うとは分かってます。だけど、短歌という短く定められた形の詩だからこそ、時代を経ても変わらない、研ぎ澄まされた気持ちそのものが31文字の中に込められているように感じられて、だからこそ遥か昔の短歌に「分かるで……」って頷けてしまうんじゃないかなあと思ってます。

 

 

背景を知ることでさらに楽しい

 そして背景や文脈を知るってこんなに大事……いや、大事と言うよりも、世界を広げてくれるんだなと改めて感じました。歌を詠んだ人の背景を知って印象がガラッと変わったのがこの

「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも」

です。この歌は単純に意味だけ捉えると「平和な日常が続いてほしい」という感情が詠まれていて「ヘ〜、のんびりした歌じゃん」みたいな印象を受けたんですけど、これを読んだのが源実朝で、彼がどんな生涯を送ったのかってことを知ると、「ウオオオ……」とうめきたくなってしまうんですよ……。12歳で武士の棟梁になって、自分の周りに起こる政争をたくさん目にしてきて、それでこういう歌を詠んでたのかと思うと、のんびりとはかけ離れた重たい気持ちが込められてたのかなあと憶測してしまいます。そして自分の甥に暗殺されるっていう実朝の最期もこの歌に込められた平和な理想とはかけ離れていて、その運命にもまた悲しくなりますね……。

 この歌に限らず、詠んだ人の背景や詠まれたときの状況を知ることで歌に込められた当時の思いみたいなものが感じられる歌(68番、72番、99番、100番とか)が結構あったんですけど、これって百人一首に限らずいろんなところで経験あるわ……とデジャブを感じたんです。たとえばV6の曲でいうと「over」は何も知らずに聞いてた最初のころもそりゃいい歌だなーと思ってたんですが、この歌をトニセンが作詞したことを知ったことで、その当時の彼らの状況とか心情に思いを馳せてさらに楽しむことができるようになった、みたいな。 こういう風に作品の背景を知るという楽しみの深め方には作品の形態も時代も関係なくて、その作品がつい20年前に作られたものでも1000年よりも前に作られたものでも同じ楽しみ方ができるんだなあと改めて実感しました。こういう和歌の楽しみ方を高校の時に知れてたらなあ〜〜!でもまあ遅すぎるなんてことはないので!!今知れて良かったなあと思ってます!! 

 

 ここからは和歌そのものと離れた話になるんですが、私がここまで書いてきた「背景を知る」って楽しみ方はどんな形態の作品にも当てはめられると感じてる一方で、こういう楽しみ方はあくまで副次的なものに留めておきたいなと個人的に思う気持ちもあります。こういう楽しみ方が単純に作品を楽しむよりも先に来てしまうと、逆にあんまり楽しくなくなってきちゃうような気がしていて……自分のくせとして感覚よりも理屈を優先させちゃいがちなので、「知ることで楽しい」っていう理屈よりの感じ方を考えなしに味わいまくっていると、作品を知覚した時にパッと感じられる楽しいとか面白いって気持ちを圧迫してることがあるんです。これめっちゃもったいないなあって感じてて、やっぱり作品そのものを楽しむってことを一番重要なこととしておきたいなと思っています。

 あと作り手から作品の背景を汲み取ってね!みたいな甘えを感じる作品があんまり好きじゃなくて、だから「背景を知る」という楽しみ方を自分の中で至上のものとしたくないというのもあります。この「甘え」ってめっちゃ曖昧な概念で、製作者の意図にかかわらず背景が作品に滲み出てしまうこととか、背景すらも作品の一部とした上できちんと作品をつくることとは違ってて、なんというか……作品を受け取った人に訴えかけるために作品そのものに磨きをかけることを怠って、受け取り手に背景を想像させることで満足させようとしている、という感じのことを意味してます。この「怠る」とか「満足させようとしている」っていうのは全て主観でしかないので万人にとって「甘え」がある作品の定義なんてできないんですけど、個人的にはたま〜にこういう嫌な「甘え」が感じられる作品に行き当たることがあって、その時に上で書いた「理屈よりの考え方を考えなしに味わいまくっている」状態になっていると、「甘え」をうまく認識できないことがありました。なんかモヤモヤするんだけど楽しめないわけではないんだよな、でもモヤモヤするんだよな〜……みたいな。だからこそ、この点でも自分が作品そのものに触れたときに感じる楽しい・面白いという気持ちを一番大切な軸にしておきたいなーと個人的に意識してます。

 ここの段百人一首全然関係ない話してるな……笑 あくまで副次的なものにしておく意識は持っていたいけど、文脈を知ってそれが作られた背景に想いを馳せることで作品をさらにさらに楽しむことができるって何にでも共通していて、私はこういうことで楽しみを深く広げていけるのなら、用法用量に気をつけてどんどんやっていきたいなって思ったということです!  

 

 

 

 百人一首の意味や詠んだ人の気持ちをちゃんと知ってみるとめっちゃ面白いね!ってことに学校の古典を終えて何年も経ってから気付いた!楽しい!という話でした〜〜!他の和歌集も調べてみたい!!

お題「#おうち時間